NeWestMuseum
近代西洋美術館

歴史  ГМНЗИ

国立近代西洋美術館

Вход в здание ГМНЗИ на Пречистенке
1936 год

モスクワの国立プーシキン美術館とサンクトペテルブルクのエルミタージ ュ美術館を訪れる多くの人は、ゴーギャンやマティス、ピカソなどの素晴らしい 印象派のコレクションの歴史についてご存じないかもしれません。この前に、これらのコレクションが、不可分なコレクションとして存在したことがあまり知ら れていません。1923年から1948年にかけてのモスクワには、1800年代後半から1930年代までのアメリカと西洋の美術品を収集、保存、研究していた驚くべき 近代美術館が存在し、国立近代西洋美術館と呼ばれていました。この国立近代西 洋美術館のコレクションは、モスクワの事業家であり美術品愛好家でもあったセ ルゲイ・イワノビッチ・シチューキンとモロゾフ・イワン・アブラモビッチの二 名により、フランスの美術品を中心として、印象派やポスト印象派といった19 世紀の終わり頃から20世にかけての近現代の西洋美術を集めたものでした。十 月革命後の1918年、彼らのコレクションはソ連当局によって国有化され、二つ の国立美術館が生まれました。そして、1923年にこの二つの美術館は一つに統 合されました。国立近代西洋美術館は、あの有名なニューヨーク近代美術館 (MoMA)に5年先んじて、世界で最大の近代美術館になりました。シチューキン とモロゾフは、フランスなどの外国の美術館より先に印象派のセザンヌや、フ ァン・ゴッホや、ゴーギャンや、マティスや、初期のピカソなどの作品に興味を 持ち、彼等の作品を購入したのです。こうしたロシア人の美術品愛好家のお陰 で、著名な画家の作品の中でも主要な作品がロシアに集まることになりました。
「...これほどまでに充実したフランス絵画のコレクションは、他の美術館や個人 のコレクションでは見つけられないでしょう。敢えて言うならば、米国フィラデ ルフィアのバーンズ・コレクションが肩を並べることが出来る唯一の存在かもし れません。国立近代西洋美術館のコレクションについて特筆すべきは、収集した 作品の数だけではなく、その質が高いことにあります。美術館では、19世紀- 20世紀のモネ、ルノワール、ファン・ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、マテ ィス、ピカソ、ドランなどの多くの画家の作品の中でも一流のものを展示してい ます」とは、国立近代西洋美術館のテルノウェツ・ボリス・ニコラエヴィチ館長 の言葉です。国立近代西洋美術館は、ソ連における画家の芸術の進歩に多大な貢 献をしました。この美術館を訪れた多くの画家は、美術館から沢山の学びを得ま した。前述のシチューキンは、自宅で自分のコレクションを一般に公開していた ため、年配のロシア人達は革命以前にそうした絵画をシチューキンの家で鑑賞し ていました。国立近代西洋美術館は第一次世界大戦前のシチューキンとモロゾフ のコレクションのように、外国からの評判も高かったため、ソビエト連邦を訪れ た外国人も国立近代西洋美術館に足を運びました。

Оформление здания музея к XIX годовщине Октябрьской революции
1936 год

国立近代西洋美術館は発展するために、欧米の最新の芸術に親しみ、多く の優れた作品を集めるべきでした。しかし、モロゾフとシチューキンのように毎 年での大量の作品を収集することが出来ませんでした。国内で、飢饉や通貨の暴 落があったからです。美術館のコレクションを絵画と彫刻で補給したことについ てですが、革命の時に国有化した個人のコレクションの展覧会から購買し、賜物 としての作品貰いもありました。そして、ソ連画家の作品を近代ヨーロッパの画 家の作品替えもありました。
大祖国戦争(いわゆる、第二次世界大戦)の時代に、コレクションはノボ シビルスクへ移されました。1944年にモスクワへ返還されましたが、展示は再 開されませんでした。1946年には、国際政治における出来事として、かの「鉄= のカーテン」の時代が始まりました。その後間もなくして、ソビエト連邦におい てコスモポリタニズムとの戦いが繰り広げられました。その過程で国立近代西洋
美術館の存続に関する問題が、ソヴィエト連邦における最高意思決定機関である ソ連邦閣僚会議の下で議論され、1948年2月6日に制定された政令672号に基づ き、清算されることが決定されました。かつて1918年の布告で、「西洋美術の 巨匠による傑作」であり「国民の啓蒙のために、国益といえるほどの芸術的価値 がある」とまで言われたコレクションが、この政令により社会的に有害であり危 険であると宣言されてしまいました。

このようにして、モスクワは、モスクワの文化的環境から生まれたコレク ションを持つ、ロシアにとってだけでなく世界的にみても優れたユニーク美術館 を失ってしまいました。 不幸中の幸いだったのは、この様な出来事がその後、 ロシアで生じなかったことです。エセーニンや、ショスタコーヴィチ、アフマ ートヴァといった、ロシアのアヴァンギャルド芸術を牽引した多くの芸術家たち は、かなり以前に「ブラックリスト」から復活しました。そろそろこの辺で国立 近代西洋美術館とその悲劇的な運命について思いを馳せる時が来たのだと思いま す。ソビエト連邦における全体主義体制によって、国立近代西洋美術館が打ち壊 されてしまったその理由と過程を、理解することが必要です。国立近代西洋美術 館は、人々の記憶から忘れさられてはならず、結局再建されるべきなのです。

Documentary film about 
The State Museum of the Modern Western Art (1918 - 1948)

Interview with Irina Antonova, President of The Pushkin State Museum of Fine Arts:

 

Interview with Mikhail Piotrovskiy, Director of The State Hermitage Museum: